性別をいつ決めたのか。
通勤のときにイヤホンを片耳につっこんで、音楽をききながら、
「あれ、わたしっていつ性別決めたっけ?」と思った話。
私はあまり音楽を聴かない。
”ながら作業”ができないので、音楽を聴くのは通勤中くらい。時間があるなら、本を読んでいたいのだ。
とはいえ、急に出会いが訪れることがある。
それが「女王蜂」。
もともと映画の「モテキ」が好きだったので、存在は知っていたのだけど、それだけだったのが、最近YouTubeでたまたまMVを観だしたら止まらなくなってしまった。
作詞作曲もこなすボーカル担当のアヴちゃんは、不思議だ。
性別や国籍もはっきりしない、ただただ凡人にもわかる、才能の塊。
※性別でいえば、超絶美脚な女の子なんだけど…
アヴちゃんは、私が人生三大映画に数えている映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のヘドウィグを思わせるところがある。
魂のこもった歌声や、性別を超えているように見えるところ、スレンダーで美しいところだ。
ある日の通勤中、最寄り駅まで歩きながら、イヤホンを片耳につっこんで、
「この人(アヴちゃん)やトランスジェンダーな人は、自分の性別にどう気が付いたんだろう…」となんとなく思っていた。
なぜだろうか、その在り方に、意志の強さを感じて羨ましくなったのだ。
そして、
「あれ、私は まだ性別を決めていないぞ」と。
私はだれがどう見ても、女だ。間違えられたこともないし、自分を「男だ」と思ったこともない。
でも「女」になったつもりもないのだ。しかし、体の形は確実に「女」だ。
世にいう「女性的」な性質も備えている。情報を整理するほど、私は「女」だ。
でも世間一般でいう「女らしさ」とはかけ離れているし、反発すら感じる。
受け入れていないのだ。それは昔でいえば、「未熟者」の一言で片付いていたものだと思う。
でも本当にそうなんだろうか。自分は自分であって、誰かと同じカテゴリに収まるのが当たり前なのか。
Facebookのアメリカ版(?)では、性別の選択肢が30種類以上もあるという。私もそのなかなら、あてはまるものがあるかもしれない。
もう30歳もとっくに超えて「自分の性別は?」なんて、遅すぎるかもしれないけど、
面倒な性格に生まれついてしまったので、仕方がない。
いつか納得するときがあるのかしら。
そんなとりとめのない話。
※女王蜂のアヴちゃんの性別について言及するつもりはない。アヴちゃんはアヴちゃんだから。